緑栄塾の歴史①

【誕生するまで】~それは開墾から始まった~

 横浜市は1992年(平成4年)に「ゆめはま2010プラン」を提起し、 栄区は1993年(平成5年)に「荒井沢緑地の里山再生事業計画」として「みどり塾」がスタートした。

 翌1994年(平成6年)、荒井沢の谷戸で「田起しと稲作を楽しむ」活動が始まり、これは後の荒井沢市民の森愛護会に受け継がれた。 1995年(平成7年)には、おおくぼの休耕畑で「ソバ作りからソバ打ちまで」の活動が始まり、繁茂した笹薮の開墾に着手した。一方じゅうねんだいの畑では、1992年(平成4年)から農業委員会主催の市民農業体験が行われていた。

 この2つの畑の地主さんが同じこともあり、2つの市民グループが合流して1996年(平成8年)に「荒井沢緑栄塾楽農とんぼの会」(略称:緑栄塾)の誕生となった。

皆で挑んだ開墾地(おおくぼ畑)(上方見えるのは、桂台の街並み)

【誕生~1996年度~】

 「じゅうねんだい」を中心に農作業を始め、さつま芋、大豆、黒豆、トウモロコシ、麦類(当時は大麦とライ麦)と順次栽培品目を増やしつつ、除草、木灰作り、堆肥散布、防獣ネット張りなど、農作業の基本を学びながらの活動であった。

 一方、ソバ作りで始まった「おおくぼ」の開墾は、格闘しながら少しずつ耕地を広げた。農作業を行いながら、子供虫取り会や農家との交流を深めるナベ談義を行うなど里山を楽しみ、年末に第1回収穫祭を賑やかに開くなど活動は活発であった。

 栄区役所区政推進課の物心両面にわたる支援で緑栄塾誕生1年目は、順調にその第一歩を踏み出した。

【開墾と農作業に苦戦~1997年度~】

 農事の素人集団は、農作業技術の習得に悪戦苦闘しつつも、おおくぼの開拓を着実に進めていった。畑の中心に生えていた4本のミズキの木を活かした「いこいの広場」は、腰掛け様に仮の丸太も置かれ、休憩や交流の場となった。

 未だ開墾されずに残っている周囲の林や笹薮に子どもたちを呼び、鳥や昆虫の観察会を行った。キジの巣や動物の足跡も見つかりリスも身近に生活しているようであった。市の3年間の助成終了後、いかに自立していくか?この会の運営をいかに進めていくか?大船の飲み屋が「寄り合い」と称した集いの場となり、喧々諤々と話題沸騰、賑やかに楽しく話し合った。