緑栄塾の歴史② (1998年度~2006年度)

1998年度(3年目):小麦がスズメで全滅

おおくぼの開墾が進み、次第に畑地も増え、イモや野菜など多様な作物に挑戦し始めた。じゅうねんだいの小麦畑にスズメの食害を防ぐため防鳥ネットを張ったが、採用したネットの網目が粗く、スズメが自由に通り抜け、ついばまれた小麦は全滅となった。8月には、作物を虫の害から守り、豊作を祈願する農村の伝統行事である“虫送り”祭りを行った。薪を焚き、鍋を囲み、手作りの料理と持参のお酒で飲んで食べて歓談、参加した子どもたちとカブト虫を探し、満天下の星のもと、歌に興じ里山の夜気を感じつつ夜を明かした。

1999年度(4年目):会の体制を作る

この年、農作の技術向上のためにスキルアップの実習に取り組んだ。その甲斐あってか、初めて小麦が収獲できた。おおくぼの開墾も残った大木を倒し完了した。
 農機具を入れる楽農庵を廃材を利用して作り、いこいの広場の丸太ベンチも整い、皆で昼食をとりながらの親睦と情報交換が進んだ。
 会自立へ向けての「戦略会議」を頻繁に開催し、日本財団の助成金を得るため、里山の農作業体験「楽農講座」を企画・申請し、3月に承認された。会設立後はじめての第1回総会を開催。会則・組織・年度計画を議決し、活動体制の基盤を整えた。
 日本財団の助成が認められたことに伴い、受講生の募集など楽農講座の準備に着手した。

2000年度(5年目)市民楽農講座を開催

粉ひき機

じゅうねんだいの小麦は順調に育ち、収獲を迎えたが、麦刈りの日が梅雨の雨に遭い、雨中の収穫作業となった。わずか8袋の収穫であったが、貴重な経験となった。おおくぼ畑の畑と合わせて、さつま芋、じゃが芋、ソバ、枝豆、落花生、里芋、南瓜、玉ねぎなど、主要な作物は順調に育った。
 4月に募集した「市民楽農講座」は、20名の参加者を得て、6月からスタートした。江成卓史氏を講師に月1回全13回の講座を行った。楽農講座の精華は、冊子「楽農の軌跡」にまとめ市民農作のわかりやすい手引書となった。日本財団の助成金で電動粉挽き機を購入し、小麦粉を使ったうどん作りが始まった年でもある。このうどん作りが、地域との交流の発火点となった。
 この年の総会で、畑での作業を円滑に行うための月代わりの畑番(当番制)を決めた。

講座の成果をまとめた「楽農の軌跡」

2001年度(6年目)アライグマ現る

矢沢小民具保管室からお借りした唐箕

4月から畑番が始まった。緑栄塾のメンバーがそれぞれの役割を持ち、会の運営に携わることとなった。また収穫物の会内部での有償頒布もスタートした。
 近隣の方々との付き合いも深まり、小麦の収穫時には、矢沢小学校民具保管展示室から唐箕(とうみ)を、農家から足踏み式脱穀機を借り、収穫作業が一気に効率よくできる様になった。また、小型管理機(小型耕耘機)も借り受けた。運転と安全の講習会を開き、機械の使用を開始した。
 小麦が60kgの収穫となり、南瓜も豊作だった。秋には鎌倉に上陸した台風15号に襲われ、おおくぼは傾斜地のため、大きな被害を受けた。収獲直前の落花生がアライグマの食害に遭い全滅、里山に住む動物たちとの共存の難しさを知った。
 新たに「侍従川と親しむ会」との交流がはじまり、鎌倉市の堆肥置場から、軽トラックでコンポストの運搬の支援を頂いたり、収穫祭に参加頂くなど交流を深めた。おおくぼの開墾が始まって7年が経ち、ついにすべてが畑地として甦った。

2002年度(7年目)地域との交流が本格化

餅つき大会

この年は地域交流が本格的に始まった年である。桂台地域ケアプラザで電動石臼を使って小麦を挽いていると、スタッフから「通所者にも体験させてほしい」との申し出があった。これがきっかけで、小麦挽き、うどん打ちとその試食体験のボランティア活動が始まった。続けて小菅ヶ谷地域ケアプラザでも行い、通所者に喜ばれた。
 小麦の収穫体験に金沢文庫小の6年生が総合学習の一環として参加し、また「鎌倉湖畔子ども会」は、さつま芋掘りの体験に参加した。
 鎌倉の「山崎の谷戸を愛する会」に小麦収獲のノウハウの提供を、当会から谷戸の稲刈りに参加するなどの相互交流を行った。さらに、年末には笠間地域ケアプラザの餅つき会に参加した。
 広報紙「さとやま通信」は、年6回発行し、横浜市の「横浜新世紀」に当会の活動が、紹介された。 こうした交流の輪をさらに広げるために、Web解説グループを設け、ホームページ作りに着手した。

2003年度(8年目)ホームページ開設

ホームページ開設

会員は40名を超えた。待望のホームページは、9月に開設。当会の活動や農作・地域交流の様子をリアルタイムに全国に紹介する広報の窓口となった。
畑では、苗を自家栽培するための育苗用温床を作り、さつま芋・銀閣メロン・南瓜などの苗を育て、自前の苗を植え付けた。
 農作業の活動に加え、笠間地域ケアプラザ子ども会の麦刈り体験、同所通所者へのうどん打ち体験、市主催の「夏!市民活動体験」から大学生を3カ月間受け入れ、里山保全ボランティア体験、知的障害者の通所施設の子どもたちへのうどん打ち体験など、地域の要望を受けての交流活動はますます活発化した。

2004年度(9年目)援農に汗を流す

横浜市「はま農業」のセミナーにて活動紹介

 農家への援農を目的とする市助成団体「はま農楽」との交流が始まった。「アースフェスタかながわ」では、国際理解と協力の会によるJICA留学生への「多文化体験」としてソバ打ち実演を行い、国際交流に寄与した。
 里山保全活動として、地元農家の援農や共用農道の草刈りに汗を流し、台風一過の荒れた農道の整備を行うなど、地域への奉仕活動を行った。
 農作業では、小麦の種蒔きから始めて、麦踏み、除草、刈取り、うどん賞味までを一貫して体験する「小麦の四季体験」を企画、実施した。新しく取り組んだこの試みは、市民福祉活動の先行モデルとして、栄区地域福祉計画案に取り上げられ、区の福祉計画発表会で、当会の活動概要とともに発表した。
 新たに土づくりにも取り組んだ。隣接の山林を落葉集め目的に切り開き、落葉かきを行い、落葉堆肥場を増設するとともに、近隣の木工場からカンナ屑を運び込み、カンナ屑堆肥づくりへの挑戦を始めた。この堆肥が今後の畑地改良に生かされる。

2005年度(10年目)広がる活動と交流

径でソバ打ち

花見会に吉久保栄区長が来畑、会員たちと親しく談笑し10年目の活動が始まった。
おおくぼの畑は、落葉堆肥の投入で土壌改良が進み、沢山の野菜の収穫とともに、新顔の西瓜も採れ、畑に笑顔が広がった。一方、じゅうねんだいでは、さつま芋の不作となり、その原因究明が課題となった。
 交流活動は、この年も地域ケアプラザでのうどん打ちや、夏塾生の受け入れを実施。また、関東学院大学の学生発行の雑誌の取材も受けた。イベントは、前年に続けてあーすフェスタ「多文化体験国際交流」に参加のほか、初めて「栄区民祭り」に参加。小麦粉、野菜、カブト虫の幼虫を販売し、市民やちびっ子に喜ばれた。
 「はま農楽」から、セミナーを要請され、今までの[成果を「農作業の基本」と題して披露した。

  2006年度(11年目)緑栄塾創立10年を迎える

斜面畑の整備

おおくぼ斜面畑に土手を作り段々畑にして耕作地を拡大、さつま芋畑にした。このように栽培した芋・麦類などを使って、地 域の人たちと芋堀会やうどん打ち会で盛んに交流を図った。これらのイベントをさらに充実するために栄区の助成金申請を企画し、43万円のイベント用資金を得ることができた。この資金で自走運搬車こまわりくんを購入し、イベントのための水や材料、肥料等の農業資材の運搬に大変役に立った。小麦蕎麦の製粉機と麺作りの道具も購入し、イベント環境が格段とレベルアップした。

 創立十年で、会の活動は日々充実してきたので、昨年から十周年事業を企画し、緑栄塾の活動の軌跡を残すために10年史“里山に抱かれて10年”をプロジェクトで編集し、完成した。緑栄塾がお世話になった人たちをアースプラザに招待して、10年史を贈呈し、今までの会の活動を理解してもらうとともに講演会と懇親会を開催し、盛大に創立十年を迎えることができた。平成18年は栄区だけでなく横浜市からも優れたボランティア団体として認められ、緑栄塾が社会に広く認められる年となった。

  

緑栄塾の歴史③ (2007~2011年度)

援農の輪が広がる(2007年度・12年目)

新旧管理機(小型耕耘機)

 平成19年1月に緑栄塾創立に貢献のあった地権者の岩崎兼吉氏が享年83歳で亡くなった。彼との出会いがきっかけで、岩崎畑の管理の手助けをしたり、おおくぼとじゅうねんだいの従来の畑の耕作に加え、高田畑斜面地の開墾、角田畑のじゅうねんだい奥畑の除草、角田宅の庭の駐車場の除草や共用農道の草刈り等と援農の輪が大きく広がった。
 栄区と社協の助成金で、この年はヰセキの新型管理機を購入し、増えた畑の耕作作業に大きく力を発揮した。
 地域との交流は、栄区の多くの地域ケアプラザで地域のお年寄りや親子、サポートセンター「径」の障害者、青少年会の親子の人たち、学生ボランティア、さらに国際理解と交流の会との提携による外国の人達等様々な階層の人たちと小麦、さつま芋、じゃがいも、里芋等の畑の恵みを使ったイベントで盛んに交流をした。
これらのイベントのための材料や道具を保管するためにこの年の助成金でタクマの物置を購入し、楽農庵横に設置した。
 この年、阿部氏が新代表に選出され、創立時から長年代表を務めてきた飯田(力也)氏からバトンタッチが行われた。

地域交流の輪が広がる(2008年度・13年目)

横浜市福祉大会

  農を通じて地域の人との交流を図るために栄区の助成金を受け始めてから三年目になり、地域交流の輪は大きく広がった。
 従来の「径」の障害者、青少年会の親子、JICAの外人研修生に加え、明治学院大や神奈川大学の学生達の農作業実習、地域団体のノアの種まきから刈取り、うどん打ちと連続した農体験件講座やみのりサポートの蕎麦打ち会と多種多様な形で年間29回のイベントが行われた。
 これらのイベントを会員が円滑にすすめるために、農作業や農機具の使い方そしてそば打ちのスキルアップ研修を行い、会員の技術向上の研鑽を図った。これらの地域交流への会員の努力が認められ横浜市福祉大会で優良団体として表彰を受けることができた。
 三年目の助成金では、広報の充実のために、A3レーザープリンターと外付けメモリーを購入し、イベント活動のために資料づくりに大きく役立った。

そばを栽培、製粉、打つ。作物担当始まる(2009年度・14年目)

ソバ畑の打ち寄せ

  緑栄塾の前身は栄みどりの会といい、荒井沢の放棄畑を開墾し、そばを栽培し盛りそばを食べようという市民団体であった。その後、会は幾度となく、そばの栽培に挑戦したが、成功したことがなかった。
この年、会は会員一人ひとりが作物への関心を高め、栽培技術を向上させようと作物担当制の試みを始めた。そば担当も発足し、じゅうねんだいの奥畑を開墾、そばを植え、間引き、土寄せ、台風による倒伏を乗り越え、刈り取り、稲架掛け、脱穀・乾燥させたそばの実を磨き、製粉することに成功した。
 年末のそば打ち会で、荒井沢産のそば粉で、会員による手打ちそばをとうとう食することができた。栄区長を始め、高田さんやお世話になった人たちと一緒に食べた手打ちそばは感無量のおいしさであった。
会発足13年が立ち、会のメンバーも大きく変わったので、世話役の世代交代の提案がなされた。代表が阿部氏から大中氏にバトンタッチされるとともに世話役の多くが交代、新しい体制がスターした。新代表は参加・享受・貢献をスローガンに提案した。

助成金で農道を清掃し、廃棄物を片付ける(2010年度・15年目)

刈払機を駆使し共用農道の草刈り奉仕

  お花見会は31名が参加し賑やかな花見の宴となった。畑作業にも20名を超える人達が毎回参加し、賑やかな声が畑にこだましている。
 里山の環境を守るために、今年は栄区の協働推進事業として農道整備事業を申請し、草刈りのための機材を整備した。最初は鎌と熊手と竹ほうきで農道の草刈り奉仕をしてきたが、草刈りのため刈払機を導入して、坂道の上り口からおおくぼ畑の入口までを清掃する作業の効率化を図った。
 秋には台風で、木が倒れるのを片づけ、農道の土手が崩れたのを土木事務所と交渉して近隣住民のために修理をしてもらった。またおおくぼ畑の入口近辺の不法投棄の廃棄物を片づけ、環境整備に務めた。
 世話役が一新されたため、3カ月毎に寄合を開催し、意思疎通を深めていくこととした。管理機、刈払機、こまわりくん等とエンジン付機械が増えてきたので、安全教育のための担当者を決め寄合で機械類の安全な使用方法の講習を行った。 

虫送り行列来る・果樹園始まる(2011年度・16年目)

笹薮を伐採して果樹園地に

じゅうねんだい前畑を開墾し、南瓜・冬瓜畑とした。おおくぼ斜面地の笹藪を開墾し、果樹園化の道を歩み始めた。じゅうねんだいとおおくぼの援農地は拡大し、約1200坪となり、創立時の約2倍の広さに拡大した。毎日曜日の参加者は20名を超えてはいるものの、創立時に比べると高齢化が進んでいるのも事実である。そのため地域の交流は農との関連にあるものにし、畑の管理維持を最優先にして、会の運営を進めた。
 開墾したじゅうねんだい前畑の南瓜は、雑草の戦いに負け、全滅。じゃが芋は長引いた雨のため多くが腐ってしまい悔しい思いをした。さつま芋は蔓惚けして最悪の収穫状況となる。そして西瓜もアライグマに襲われて全滅。でも小麦は145kg、蕎麦も33kgの大収穫と落胆と喜びが交錯する年だった。その中で、虫送り祭の日に湘南ハイツ子ども会の子ども達が幟を立て、太鼓をならして、おおくぼの畑を訪ねてくれたのは大きな喜びたった。
 1年かけて開墾した斜面地の果樹園には、梅・柑橘類、柿、ブルーベリー等を植栽できた。何時皆の口に届くかが楽しみである。

虫追い祭りに参加してくれた子ども会の隊列

2019年度催事一覧

2019年度も畑の作物に感謝し、会員の親睦を深める 多くの行事が行われます。

予定日内容場所参加者
4月7日(日)お花見会おおくぼ広場緑栄塾会員
6月12日(水)径のジャガイモ掘りジャガイモ畑
料理はおおくぼ広場
サポート径メンバー
緑栄塾会員
8月11日(日)すいか祭りおおくぼ広場緑栄塾会員
10月6日(日)そば花見じゅうねんだい緑栄塾会員
10月13日(日)うどん打ち桂台地域ケアプラザ緑栄塾会員
11月2日(土)第19回栄区民まつり
(作物頒布)
本郷中学校校庭区民
緑栄塾会員
11月13日(水)径のサツマイモ掘りサツマイモ畑
料理はおおくぼ広場
サポート径メンバー
緑栄塾会員
11月24日(日)収穫祭(芋煮会)おおくぼ広場緑栄塾会員
12月21日(土)年末そば打ち会桂台地域ケアプラザ緑栄塾会員
12月22日(日)畑納めおおくぼ広場緑栄塾会員
1月5日(日)畑始めおおくぼ広場緑栄塾会員

緑栄塾の歴史④(2012年度~2016年度)

里山レンジャーズ落葉掻きで活躍(2012年度・17年目)

アライグマの食害にあったスイカ

おおくぼ斜面地の笹藪を開墾し、梅・柿・柑橘類やベリ-類を植え果樹園化の道を歩み始めた。
 開墾したじゅうねんだい前畑の南瓜は、またしても雑草との戦いに負けて全滅。西瓜も再びアライグマに襲われて全滅。それでも小麦は139㎏、ソバも33㎏の収穫と落胆と喜びが交錯する年になった。
 栄区から依頼の農体験講座とNORAから依頼の里山レンジャーズの3回のシリーズで落葉掻きと堆肥づくりを行い、意義のある地域交流を行うことができた。
 会は創立から16年目を迎え、10年史に記録された活動の記録から6年分の「活動のあゆみ」をワーキングプロジェクトで作成し、総会で会員の皆さんに披露した。

会員募集ワーキングプロジェクト始まる(2013年度・18年目)

小麦は、梅雨前に早めに刈取りをしたためか、製粉収量が悪かった。じゃが芋、玉ねぎなどは豊作だった。おおくぼの西瓜はカラスやアライグマの食害に遭い、獣害対策に課題を残した。秋には日照と台風で何度も種蒔きをし直す等野菜類への被害が大きかった。冬には例年にない大雪が畑を覆い、活動に支障が出たが、雪に覆われたホウレン草などはすくすく育った。ソバは製粉機2台を駆使し、完全自家製手打ち蕎麦を賞味することができた。小麦利用では、餃子作りにも挑戦した。
 会員数が減ってきたため、会員募集のためワーキングプロジェクトを起こし、募集用のパンフレット2種類を作成、近在の公共施設等に展示、栄区社会福祉協議会から畑に見学に来た広報誌『そら』、栄区活動支援センターの会報、栄区報に紹介記事を載せた。このような努力が実り、6人の退会者があったが5人の新しい仲間を迎えることが出来た。
 地域交流では、サポートセンター「径」の通所者に芋掘りイベントを3回とうどん打ち1回を開催し、横浜市民活動支援センターの農講座への参加と落葉搔きの農体験講座を実施した。
 総会では、世話役の交代と調理役等の担当制を拡大、従来の寄合による会運営から世話役リードによる会運営にした。会の財政は会費、 野菜頒布金、イベント、助成金と4本の収入の柱が確立し、安定した会運営できる見通しが立ったのは大きな成果であった。

横浜市民活動支援センター農体験(落葉搔き)

アライグマに勝つ・スイカ大収穫(2014年度・19年目)

スイカ大収穫

  昼食後の初の寄合では、世話役会から第一四半期計画と『作業・栽培記録』が『畑番日誌』になるとの報告があった。
 日曜日毎に雨に降られることが多く、振替作業日で農作業を追いかける日々が続いた。麦刈りもギリギリ遅らせて収穫したが、麦穂はしっかりと膨らみ豊作になった。またジャガイモやタマネギも同様に豊作だった。
 夏になり、トウモロコシが順調に育ったが、ネット張りにもかかわらず獣害で全滅。ラッカセイも被害にあい、半量の収穫になった。西瓜はアライグマ対策のためにネットと鉄棒の組み合わせで防御し、80個近い大収穫をあげた。
 暑い夏を乗り切る懇親会を大船いちぜんで初めて開催。沢山の人が談笑、会話を楽しんだ。
 熱暑の後の秋冷えの影響か発芽状況が悪く、作物の生育に悪影響もみられたもののその一方でピーマンやシシトウは長い期間収穫でき、野菜頒布収入に貢献した。
 秋の栄区民祭に参加。小麦粉に加え、ハヤト 瓜を大量に出品。小麦のフスマは障害者通所施設[径」でのフスマパン製作・販売用に寄付している。収穫祭を豚汁で祝い、27人が参加。「径」の障害者の方のサトイモ掘りと芋煮会で賑やかな声が畑にこだました。
 平成10年から続いていた“さとやま通信”は、年報“活動のあゆみ”に役割をゆずり休刊とした。
 年があけての戦略会議に多数の会員が集い、熱心に会の運営と新年度方針を協議し、総会の準備をした。総会は農事役と会計の交代と世話役会で協議し寄合に報告する運営方針が承認された。

小麦の刈り取り

緑栄塾20周年(2015年度・20年目)

キウイ初収穫

  今年度は、異常気象の影響か年間を通して天候に異常状態が続き作物栽培にとって厳しい年となった。こうした中、従来の作付圃場や苗の定植方法等を試験的に変えて作柄向上を目指した。圃場変更では、トウガン・ヤーコン・ヤマトイモをおおくぼからじゅうねんだいへ移し、好結果を得た。しかしながら5区のサトイモの作付では高畝から平畝にしたものの水不足の影響か生育は極端に不良だった。
   育苗では、スイカ・カボチャ・ピーマン・ブロッコリー・モロヘイヤ 等種を直蒔きせずポットで育苗定植した結果、 幼苗時の水不足の悪影響を抑え作柄良好につながった。虫予防では無農薬栽培に心がけ、苗の段階から虫取り、スギナ液の散布等により昨年より夜盗虫被害(ブロッコリー)を大きく抑えることができた。一方、獣害対策ではスイカの被害はなく成果を上げたもののラッカセイは全滅、エダマメは兎に芽の食害に遭い結実せず、ネギはサビ病で全滅した。沢山収穫できたコムギとソバは、上郷地区センターでうどん打ち会とそば打ち会を開催し沢山の仲間と賞味することができた。
 9月の寄合では、農薬の使用について話し合い、苦労はあるけれども限りなく無農薬で作物栽培を行なうことを参加者全員で確認した。プラット栄ギャラリーに応募し、緑栄塾紹介の掲示を一カ月展示し、多くの区民が見に来た。また栄区民祭では、ハヤト瓜とヤーコンに加えてヤーコン茶が大好評で完売できた。年末には岩崎夫妻が初めて来畑して、我々の畑の管理に感謝の言葉をいただいた。アドバイザーの吉武さんが来畑し、名城大学の小池教授も視察にこられた。
 2月の寄合では、会員へ過重な作業負担がかかっているとのことで、圃場減少の提案があったが、コアタイム内で耕作ができていることから、当面圃場減少は行なわない方針を確認した。
 今年で創立20周年となるので、総会の時に創立時メンバーである飯田氏と黒柳氏に20年を振り返る講演をしていただき、20周年事業としてじゅうね んだいの畑に資材庫を建設することを採択した。また農機具の安全使用のため刈払機の安全講習受講の仕組みを作った。会運営としては催事役が空席となり催事は担当と畑番が行なうことになった。

伝統的な農機具を駆使し、小麦の脱穀・篩い・精製

じゅうねんだいに資材庫建設(2016年度・21年目)

じゅうねんだいに完成した資材庫

 今年度の栽培環境は、年明けの異常な暖冬に始まり先行きが心配されたものの、春先に降雨に恵まれ作付の出足は好調だった。しかしながら夏から秋にかけては一転、台風の当たり年となり、加えて秋雨前線の活動が長引き記録的な日照不足の影響を受けた。この長雨で、作業計画に遅れが生じ、作柄も秋ジャガ、ラッカセイ、イモ、ソバ類に影響が見られ作柄は不良であった。一方、サトイモ・ヤマトイモは生育に必要不可欠な降水に恵まれ近来にない豊作だった。
  育苗では、スイカ、カボチャ、ピーマン、ブロッコリー、レタス等幼苗時の虫害防止と水不足の影響を最低限に抑え安定した生育と収穫ができた。手作業によるブロッコリー等の虫取りやスギナ液の散布等で病害を防いでいるが、年々、獣・虫害が増え、セロリは夜盗虫で全滅、スイカやサツマイモまでも獣害を受けた。
  定例作業日が雨等で中止となった回数は、年間で8日間あり、その都度水曜日に振替作業を行い、年間を通じて畑作業への大幅な遅れは見られなかった。 そばの花が咲いている時に小山内栄区長が来畑し、 おおくぼの憩いの広場で作り直した広報パネルを披露し理解を深めることができた。
  恒例の区民まつりには、小麦粉、ヤーコン、はやと瓜に加えて今年から出品した里芋が好評だった。
  今年の玄そば収量は43㎏で、今年も神奈川農産へ製粉依頼し、29㎏のソバ粉を得た。そば打ち会チームの活躍で今年は2回のそば賞味会ができ、会員外のお客さんも沢山来ていただいた。年始には、塾産のそば粉で区役所の方と塾の人達がそば屋『深山』でそば賞味会を開催し、地域情報誌『タウンニュース』に載る等会のPRにもなり、栄区役所との関係を深める活動を行なうことができた。
  長年愛用した耕耘機ロビンが故障したため、今迄努力して積み立てた農機具購入積立金で、今まで評判の良かったヰセキの2台目の耕耘機を購入した。20周年事業として企画したじゅうねんだいの資材庫建設はWPにより12月に完成披露できた。これらは長年の会員の資金積立の成果である。
 地域活動の拠点である野七里、笠間、桂台の地域ケアプラザから会の長年の活動状況を高く評価され、福祉保健活動団体Ⅰに昇格を認められた。
 会員の畑作業の年間平均参加人数が20名を記録、今までにない盛んな畑活動を年間を通して行なうことができた。